2013年06月22日
OKINAWA
素晴らしいところですよ。
たくさんの友がいる場所です。
俺の携帯アドレス、琉球の連れ100人越えですからね。
そんで今でもずっと連絡を取り合い、スカイプで話ながら酒を飲む、これはずっと続くと思う。
今思えば、大阪時代にも、そのようなツレがおったけど、いかんせん己が未熟すぎて周りに大変な迷惑をかけ通しやったもんな。
大阪時代の人には、俺の尻拭いばかりやらせてしまったな。
でも、そんな大阪時代の高校生の時に、紫を知り、レコードを買った。
この時から、沖縄に縁してたんやな~ってつくづく思うよ。
高校の時のメンバーは俺を除いて、H,P,I,という頭文字で。
まずH君、彼はビートルズつながりでいっつもビートルズの話をしてたな。
あらゆるビートルズに精通していた奴やった。
P君、彼はビートルズが日本に来た日に生まれたやつ。
そんでこいつから日本のROCKをいっぱい教えてもらい、ARBやらRCやらモッズやらプロレスやら教わったな。
毎日、コイツの家に行ってギター弾いて、レコードいっぱい聴いて帰ったもんや。
そんでI君、こいつが俺にギターの魅力を教えてくれたやつやった。
もうパープルも、ツェッペリンも、デレクも全部こいつ。
その上、男前で、当時からギターが上手かったw
(まぁ俺は9歳からFを克服してたし、そんで横にずらすとキーが変わるという認識も持ってたので)
そんでコイツの家に毎日ギター弾き行った。
いいでしょ、俺いろんなところにギター友がおったわけだ。
その代わり、ギター担いでチャリンコで片道10キロ以上の道のりを毎日通ったな。
前に述べたように、俺は劣等感の塊だったので、ギターさえ弾けたらどこへでも行く。
その最たるものが沖縄やね。
沖縄はええ。
めっちゃ暑いし、ごきはブンブン飛んでくるけど、ここには仲間が大勢いるし、弟子を始め教え子もたくさんいる。
腹割って話せるツレがおる。
そんで高校時代に聴いた紫とも一緒のステージで演奏出来た。
沖縄のバンドマンやミュージシャンは俺の宝でもあるよ。
VIVA OKINAWA!!